美女と野獣(ディズニー)をあんまり好きじゃない理由
美女と野獣が実写映画化される
エマ・ワトソンがベル役をやるらしいが、どうしてもエマ・ワトソンとベルのイメージが一致せずにブツブツTwitterとかでぼやいてた
そしてぼやいているうちにそもそも美女と野獣という作品自体あんまり感動が無かったということを思い出した
映像は良かったけど・・・
当時としてはかなり凄い映像だったと思う ダンスのシーンなどは3Dモデルで作ってグルグル回したり
ただ脇役や脚本が微妙なので終わってもそんなに感動がなかった
尺が足りない
ベルが父親と交換で城に幽閉された後、従者たちは自分たちの呪いを解いてくれると信じてベルを丁重に扱うが、野獣本人は暴力以外のコミュニケーション手段を知らず苦悩する流れがある
程なくしてベルが城から逃げ出し(一生城に幽閉されることを条件に野獣は交換に応じたのにやっぱり無理って速攻で契約違反をするベル)道中でオオカミに襲われていたのを野獣に助けられるが、自分のために怪我をした野獣に情が移ったのか城に戻って手当て
ここから何故かダイジェスト風になり、呪いが永遠になってしまう焦りと愛情が分からないことであれだけ癇癪を起こして暴れていた野獣が唐突に小動物のように大人しく(小鳥と戯れて笑い出すレベル)なり、ベルも簡単に野獣を気に入ってしまいあっという間に相思相愛の仲に
野獣のベルを城に幽閉したりオオカミから助けたりといった行動はあくまで「呪いを解くため」という打算から来る行動だったはずなのだが、それを乗り越えて愛情を知っていくという一番大事な野獣の成長部分をバッサリダイジェストでお送りしてしまうのはいかがなものかと、見ていながらですら思ってしまった
こんな大事なところを端折る割に「すごいぞガストン」とかいう小悪党の歌のシーンで結構時間を使っているのが本当に理解できない
ガストンが小物すぎる
結構ディズニー映画見たと思うが、こいつが今のところ一番魅力の無いヴィランだと思う
性格もただの脳筋ナルシストだし、ベルを狙う理由も「村で一番の美人を妻にするのが自分にとってステイタス」という極めて小さい俗な話
他の作品のヴィランたちはきっちり邪悪で強大な力を持っていて一国の覇権を狙っていたりでスケールは大きいのに、こいつは村一番の猟師でナルシストなだけ
邪悪さも無いし最後には命乞いからの騙し討ちをする情けない奴で魅力が全くない
正直他の作品だったら魔女に騙されて使い捨てにされるようなレベルの小悪党でしょガストン
こんなやつに簡単に扇動させられてしまう村人たちの愚鈍さが目立ってしまう
そして原作にもこんな奴は居ないらしい
映像特典とかにあるボツ原案のほうが面白そうにできてる
商人である父の経営が悪化し、貴族と望まぬ結婚をさせられそうになるベル
ある日行商に出かけた父が野獣の城に迷い込んで・・・ みたいなプロットだった
原作でもベルは商人の娘のようだが、公開版の父親は冴えない発明家で村人たちからは変人扱いである
そして発明家の娘だからかベルは読書好きの夢想家なのだが、これが全く話には生かされていない(城の書庫を提供されて喜ぶシーンが少しだけあるぐらい)
なんで発明家の娘にしたのこれ
フェミ団体から圧力があったらしい
Wikipedia調べだが、一つ前のリトルマーメイドでアリエルは家族や故郷を捨ててでも王子と結婚するのが女の幸せみたいな描写になっているのは女性差別とフェミ団体から抗議が来たらしい
なのでおそらくそれの反動で、ベルは無理やり読書好きで自立した女性として描かれることになったし、脳筋馬鹿で小悪党なガストンとかいうクソな男の象徴みたいなキャラが入ってきたと思われる
劇中の男性は殆どが(ルミエールやコグスワーズですら)ボンクラというかイマイチ使えない奴らとして描かれてるのもそのせいな気はする
結局美女と野獣もフェミ団体からは批判され、かくしてディズニー映画はジェンダーや人種みたいな問題に向き合っていくことになった、と考えると節目の作品だったのだろうか